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金閣寺・銀閣寺(京都観光2023年秋)

京都の観光地の代表格のひとつとして金閣寺や銀閣寺が挙げられます。

はじめて京都に行った時に一日観光バスで「行った事があるよなぁ〜」程度でした。

と言う事で、今回は定番を巡ることとし、金閣寺・銀閣寺に行ってきました。

京都市内の移動について

地下鉄・バス一日券

まずは、金閣寺、銀閣寺のどちらから行くか?です。

宿泊先の京都駅からは、銀閣寺方面は清水寺や八坂神社等があり、テレビのニュースでも「206系統のバスで乗りきれない観光客の映像」を見た記憶もあります。

したがって、地下鉄とバスで行きやすい金閣寺から行くこととしました。

これが大正解で、地下鉄は混んでなく、13分であっという間に北大路駅に到着、駅にはバスターミナルがあり、案内表示もわかりやすく、約10分、ゆっくり座って行きました。

まずは京都駅で「地下鉄・バス一日券(1100円)」を購入したのですが、これがとっても便利です。

バスの混み具合でバスの系統(行き先)を選び、最寄りの地下鉄駅で移動するなど、地下鉄とバスで色々な組み合わせで移動が出来ます。

以前はバスだけの一日券(700円)もあったのですが、何せバスが大混雑のため今年の9月で発売停止となったみたいです。

金閣寺(鹿苑寺)

北山文化の黎明を今に伝える金閣寺

正式名称を鹿苑寺(ろくおんじ)といい、臨済宗相国寺(しょうこくじ)の塔頭(たっちゅう)寺院で、舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。

かつては西園寺家の別荘でしたが室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、舎利殿(金閣)を中心とした「北山殿」を造りました。

創建当時、「北山殿」は政治・文化の中心であり、天皇や中国(明)からの使者を迎える場として使用されていました。

義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。

黄金に輝く舎利殿 金閣

金閣寺に繋がる道から右を見上げると「大」と描かれた山が見えます。

これは、8月16日の五山送り火のひとつで、大文字・松ケ崎妙法・船形万灯籠・左大文字・鳥居形松明のひとつの「左大文字」です。

大の字が見えます

金閣寺に繋がる道を歩き、総門をくぐると受付がありそこで入園料500円を支払います。

順路に従って歩いていくと、鏡湖池(きょうこち)が広がり、その右の方に「舎利殿 金閣」が見事に金色に輝いています。

金閣寺案内図

空の青さとも相まって金の輝きは見事であり、色々な角度から写真を撮ってしまいました。

この金閣、昭和62年(1987)秋、漆の塗替えや金箔の張替え、更に天井画と義満像の復元を行ったそうですが、それにしても全く劣化を感じさせません。

建物は、二層と三層は、漆の上から純金の箔が張ってあり、屋根は椹(さわら)の薄い板を何枚も重ねた柿葺(こけらぶき)で、上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰が輝いています。

また、建物の内部は見る事ができないのですが、説明書によると、一層は寝殿造で法水院(ほっすいいん)、二層は武家造で潮音洞(ちょうおんどう)とよばれています。

三層は、中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(くっきょうちょう)とよばれ、三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物と言えます。

銀閣寺(東山慈照寺)

義政の精神を受け継ぐ、東山慈照寺

正式名称を東山慈照寺(とうざんじしょうじ)といい、相国寺の塔頭(たっちゅう)寺院の一つです。

室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。

北山文化の中心をなした北山殿、通称「金閣寺」に対比させて、東山文化の中心をなした東山殿を「銀閣寺」と呼ぶようになったという説が有力です。

楼閣庭園建築の代表的建造物、観音殿 銀閣

総門をくぐってから中門までの参道は、大刈込の竹垣が特徴で「銀閣寺垣」と呼ばれ、クランク状の参道を歩くにつれ、銀閣寺の世界へいざなわれていくような気がします。

杮葺(こけらぶき)屋根の「観音殿」は、金閣寺の舎利殿や西芳寺の瑠璃殿を模して造られた2階建ての楼閣建築で、下層の「心空殿(しんくうでん)」は書院造、上層の「潮音閣」は禅宗様仏殿で、花頭窓(かとうまど)が特徴的です。

金箔が贅沢に貼られている派手な金閣に対して、東山文化を代表する建造物である銀閣の魅力は、中国文化や禅宗の影響を受けたために簡素で洗練された趣を持ち、これは現代に通じる日本人特有の美意識とされます。

月の光を反射させるように白砂で波紋や灘を表現したといわれる平面的でシャープな砂盛りは銀沙灘(ぎんしゃだん)、一般的な枯山水とは一線を画した現代アートのような向月台や銀沙灘があるのも、銀閣寺の魅力のひとつです。

境内東側の展望所からの絶景

展望台への道は綺麗に整備されており、展望所からは、銀閣や庭園など慈照寺全体を見渡せます。

秋の紅葉シーズン、冬の雪景色、新緑の5月と様々な景色が楽しめると思います。

また錦鏡池(きんきょうち)を囲む庭は、木々の緑と苔の緑と同化して太陽の光で輝き、始まりつつある少しの紅葉も加わってみずみずしい風景でした。

相国寺と相国寺通天閣美術館

相国寺

相国寺は臨済宗相国寺派の禅寺です。

室町幕府三代将軍足利義満により創建され、金閣寺もほぼ時を同じくして義満により創建されました。

銀閣寺はその後年、同じく室町幕府八代将軍である足利義政により創建されています。

足利歴代将軍が創建した禅宗寺院として、金閣時と同様、本山である相国寺の塔頭寺院となり今に至っています。

相国寺通天閣美術館

昭和59年4月に相国寺創建600年記念事業の一環として、本山相国寺・鹿苑寺(金閣)・慈照寺(銀閣)・他塔頭寺院に伝わる美術品を受託し、保存及び展示公開、修理、研究調査、禅文化の普及を目的として当館は建設されました。

現在では、国宝5点、重要文化財145点を含む多くの優れた文化財が収蔵されており、様々な展観を行っています。

今は「若冲と応挙」と称して、I期(9/10〜11/12)、Ⅱ期(11/19〜1/28)にかけて、相国寺と伊藤若冲の関係を軸に、相国寺と相国寺塔頭所蔵の作品が公開されています。

最後に・・・

そらマメくん
そらマメくん

今年の6月の伊藤若冲を巡る旅行に続き、今回の金閣時・銀閣寺と相国寺通天閣美術館を巡ったのですが、全てが伊藤若冲のリンクしており、何か不思議な繋がりを感じます。

何かをテーマにそれに沿った京都見物も中々良いですね。その際は、I日最大で2か所程度が良いと思います。