今回のテーマは「伊藤若冲」です。
目次
伊藤若冲との出会い
以前東京都美術館での「生誕300年記念 若冲展」に合わせて放送されたNHKスペシャル「若冲 天才絵師の謎に迫る」(2016年4月24日放送)をみて興味を持ちました。
その時の番組紹介文が
”私の絵は千年後に理解される”という謎の言葉を残した江戸時代の天才絵師・伊藤若冲。生命の世界を極彩色と精密な筆致で描き「神の手を持つ男」と呼ばれた。
顔料の数も限られ照明もない江戸時代に、圧倒的に鮮やかな絵を描けたのはなぜか? 神秘のベールに包まれてきた天才の技に最新鋭の科学で迫る。
明らかになった絵に隠された“魔術のようなテクニック”とは。完全非公開の秘蔵作など貴重な映像と共に天才絵師の謎に迫る。
という事で、是非に本物を観たいという思いが募っていました。
そのような中で、2年前(2021年)に九州国立博物館で開催された「皇室の名宝」展で、「動植綵絵」数点を観る機会があり、その繊細さ、美しさに感銘を受け、すっかり虜になりました。
当然のこと、2016年の若冲展を観覧に行ったのですが、なんと建物の外まで続く3時間待ちの行列、これは絶対に無理!と思いその時は断念しました。
その点、福岡での皇室の名宝展では人も少なく、もちろん待ち行列も無く、ゆっくり鑑賞できました。これは地方の特権のひとつですね。
伊藤若冲の生涯
(雑誌「和楽」より一部引用)
江戸時代中期の1716年、京都・錦市場の青物問屋「桝源」の長男として生まれ、23才の時に家督を継ぎます。
若冲は、生家が商う野菜や錦市場に並ぶ魚、自宅の庭で飼っていた鶏など、身の回りのものをつぶさに観察し、写生することによって腕を磨いていきます。
30歳代の時に相国寺の大典禅師に出会い参禅し、「若冲居士」の称号を得、その後40歳で弟の白歳に家督を譲り画業に専念する事となります。
若冲はほどなくして、独自に磨いてきた画才をいかんなく発揮し、最高級の岩絵具をふんだんに用いて動植物を丹念に描いた花鳥画「動植綵絵(どうしょくさいえ)」に取り組みます。
50歳になった若冲は「動植綵絵」のうち24幅と「釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)」3幅を相国寺に寄進(きしん)し、翌年の父の三十三回忌にはさらに6幅を寄進しています。
こうして、若冲畢生(ひっせい)の名作「動植綵絵」30幅は完成したのですが、それは両親と早逝の末弟、そして自分自身の永代供養(えいたいくよう)を願ってのことでもあったのです。
それから間もなく、相国寺で公開された「動植綵絵」は京の人々の度肝を抜き、絵師・若冲の名は広く知れ渡るようになります。さらに、相国寺に寄進したことによって、「動植綵絵」は大切に守られ、現在まで伝えられてきたという側面も見逃せません。
若冲の生家跡
若冲が生まれた「錦市場」を訪問しました。そこには、若冲生家跡との表示パネルがありました。
加えて錦市場入口や各店のシャッターに若冲の絵が描かれていて、地元でも大切にされていることを感じました。
これまでも何度も錦市場を訪れたのですが、全く気づきませんでした。因みに、当然の事ながらシャッターの絵はお店が閉まっている時にしか見ることが出来ず、早朝行けばもっと見られたと思います。
伊藤家と宝蔵寺の関わり
宝蔵寺は若冲及び伊藤家の菩提寺で、若冲は寛永4年(1751)9月29日に父母の墓石、明和2年(1765)11月11日に末弟・宗寂の墓石を建立しています。
若冲の誕生日にあたる2月8日には、毎年生誕会を催し、併せて宝蔵寺所蔵の若冲40代前半頃に描かれた初期作品「竹に雄鶏図」や白蔵(若冲の弟)筆「羅漢図」などを一般公開しています。
石峰寺と伊藤若冲
百丈山石峰寺は、宝永年間(1704〜1711)黄檗6世千呆禅師により建立された禅道場です。
若冲は70代後半から世俗を逃れて石峰寺の門前に隠棲(いんせい)し、「斗米翁」と称して、米一斗と一画を交換する生活を送り、寛政12年(1800年)9月10日、85歳の生涯を閉じました。
今回の旅行の最大の目的はここ石峰寺の「五百羅漢」でした。
京都駅からJRで2駅、稲荷駅で下車し10数分歩いたところに石段があり、その入口には立て看板があります。
他に観光客は居なくゆっくりと階段を登るとそこには朱色の唐門があり、正面に石峰寺の本堂があります。
先ずは本堂でお祈りを行い、お堂の脇を入っていくと伊藤若冲のお墓が、一方で前方には石段と朱色の唐門があり五百羅漢の入り口です。
五百羅漢
説明文は石峰寺のパンフレットより一部引用し、羅漢像は撮影・スケッチが禁じられており、社務所で購入した絵葉書をスキャンして掲載しています。
寛政年間に当寺に草庵を結んだ画家・伊藤若冲は禅境を好み、仏世の霊境を化度利益(けどりえき)する事を願い、石峰寺七代住職蜜山和尚の協賛を得て、安永の半より天明初年まで前後10年余をかけて裏山に五百羅漢を制作しました。
若冲の五百羅漢は、伊藤若冲が磊落な筆法にて下絵を描き石工に彫らせたもので、釈迦誕生より涅槃に至るまでの生涯を表現したものを中心に諸菩薩、羅漢を一山に安置しています。具体的には、誕生仏、説法場、出山の釈迦、十八羅漢、托鉢修行、涅槃場から構成されています。
唐門を潜り一歩踏み入れると、山の雰囲気とも相俟って、いきなり釈迦の世界に引き込まれます。
当初は千体以上もの石像が配置されていました。現存する五百数十体の石像は長年の風雨を得て丸み、苔寂美、その風化に伴う表情や姿態に一段と趣を深めています。
そして、釈迦の誕生から涅槃までを表わす様は見事で、場毎にその雰囲気を醸し出しています。加えて個々の羅漢の表情が豊かで面白く、神聖な場にあってもほっとするような気持ちになりました。
京都にはたくさんの有名な観光地がありますが、たまには歴史をたどってゆったりと観光してみてはいかがですか